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るろうに憂心 浪人譚

世の中を、人生を流浪して思ったこと・考えたことなどの雑記帳。結構本当に流浪人しているどこにも所属していない者です。

アルコールが飲めない人は本当に人生で損をしているのか?

アルコールが飲めたら合コンや飲み会に関する考え方は違ってたのかもしれないと思うことはよくある。しかし飲めないものは飲めない。僕はもう家系からしてそうである。もう遺伝子レベルで飲めない家系である。

 

話すと驚かれるが僕の親戚が法事などの冠婚葬祭で集まってもまずアルコールを飲む人はいない。本当にいない。田舎で車の運転があるから、ということもあるがそれにしても誰も飲まない。皆飲んでいるのは温かい「お茶」だ。お茶と和菓子がメインだ。だから酔って馬鹿騒ぎをする人間もいなければ飲みすぎて倒れるような人間もいない。実家にも常備してあるのはウーロン茶と牛乳だ。アルコールは誰も飲まないので置いていない。高いしマズイし気持ちが悪くなるし何故飲むんだ、と言う意見で満場一致なんである。

 

だから初めて飲み会というものに参加した時は異次元に迷い込んだような感覚だった。

正直なところ

 

「気持ち悪」

 

と言うのが率直な感想だった。若い時はなんとかその流れに乗ろうと頑張ろうとしたものだがやはりダメなのである。ハイテンションにもなれなければお酒を飲んだから何が楽しいんだと言う気持ちは全く変わることがなかった。

まあ学生時代を過ぎればほぼそういったノリからは解放され、まともな社会人であればこのご時世一気飲みや無理にアルコールを強要するなどと言うバカな人間はいない。そんな人間がいたら僕はまた一升瓶片手に毒霧攻撃をかますつもりである。穏やかや草食系に見られるが内心かなり激情型である。短気ではない。礼節を守らない輩には容赦なくブチ切れるんである。

 

その中でも僕を完全に切れさせる

「男のくせに飲めないの?!」

「そんな年なのに飲めないの?!」

と言うフレーズ。僕はこのフレーズを聞いたら問答無用でキレる。男とか年齢とか関係ないんである。お前はバカなのかと状況が状況なら言い放ってしまう。ふざけるな、である。

まあ「男のくせに」と言う言葉を使ってくるのは大抵酒豪の女だ。僕が大嫌いなフレーズである。そいつらに「女のくせに」というフレーズを出そうものなら自分の発言を棚に上げ女性蔑視だと目の敵にする人間だということも経験上理解している。早い話がバカなんである。「男のくせに」そのフレーズを聞いた瞬間僕の目にはそいつが人間からカボチャに変わる。

 

酒が飲める=カッコいいという図式は何なのだろう?謎である。

 

この前参加した街コンでも「私お酒が好きなのでお酒に強い男性がタイプです!」と言うカボチャが多かった。もう僕はその時点で頑張ろうとも狙おうともいう気力がゼロになるんである。カボチャになってしまうのだから。カボチャを口説いたり、連絡先を渡す奴は認知機能に異常があるので飲み会ではなく病院へ行くべきなのだ。

 

何故女性は男性が酒が飲めた方が良いと言うのか?謎である。

 

僕は牛乳を好んで飲むが牛乳が飲めないと言う人に牛乳を無理に飲ませるようなことは一度もない。牛乳を飲むとお腹を下すと言う人も「ああ、そうなんだ」としか思わない。カッコ悪いとも「美味しいよ!飲みなよ!慣れるから!」と強要することもない。

 

しかし、アルコールは強要される。謎である。

 

ただ、カクテルやサワー程度ならある程度は許容範囲である。そこが僕が憂心家で一番アルコールが強いと言われる所以である(全く低次元で笑えるレベルであるが)。しかし、それもあくまで自分の中で調子のいい時や最終手段として残している切り札であり、進んで頼むことはしない。一度頼むと「なんだ、いけるじゃーん!」「それいけたらこっちもいけるから飲んでみ!」と次々と度数の強い酒を勧められると言う恐怖体験を何度もしている。

 

だいたいにおいてモンゴロイドは遺伝的に一番アルコール分解酵素が少なく、コーカソイドやネグロイドに比べるとアルコール耐性が一番弱いと言われている。そんな民族の中でアルコールが強いだの大酒飲みだのを声高に主張し、アピールする奴は見てて滑稽なんである。

 

アルコールが入らないと親睦が深められないと言っている奴らはそれこそ真のコミュ障と言える。酒がないと自分をさらけ出せないとはいい大人が情けないとは思わないのか。飲みニケーション?バカなことを言うな、ビール会社のコマーシャリズムにまんまと乗せられて真に受ける情弱でしかないんである。

 

なんだか結局アルコールが飲める人へのルサンチマンでしかない投稿になってしまった。このことから現時点ではアルコールが飲めないと人生損であると言える。

色覚異常の世界

色覚異常を指摘されたのは小学校低学年の頃だと記憶している。

身体測定の日に何やら薄い冊子のようなものを目の前に出され開くと雑然と数色の色で染められた円状のページを見せられる。

 

「ここに書いてある数字分かる?」

 

と保健室の先生に聞かれる。

 

「?????」

 

僕の頭の中はクエスチョンマークで埋め尽くされた。この人は何を言っているんだ?数字?ふざけるな、である。本当にそう思った。子供だと思って何をバカなことを突然言い出しているのか?僕はハッキリと言ってやった。

 

「数字なんか書いて無いです!」

 

そこで先生は「あちゃー、バレた?(笑)」と言う反応をするものだと思っていたら大真面目な顔をして

 

「いや、書いてある。ちゃんと見て」

 

と宣う。ははーん、さては先生は生徒が嘘つきかどうかを試しているんだな、そういうことなんだな、と本気で思った。

 

「いや、無いですよ!」

 

と元気に答える僕。

 

「・・・」

 

相変わらず大真面目な顔で今度は黙りこくる先生。

 

「…本当に見えない?」

 

と声のトーンは真に迫っているのが子供ながらに分かった。しかし、書いてないものは書いてない。目の前で何が起こっているのか、先生が一体何を意図しているのか全く理解できなかった。「数字?どこに?本のページ数みたいに小さい数字を探し出すということか?でもそれも無い。訳がわからない」率直にそう思った。何ページかめくられて同じ押し問答が続いたが結局ほぼわからない。なんとなく数字に見えなくも無いページもあったが、例えば3なのか8なのか判然としなかったり確証は無かった。

 

教室に戻るとクラスメイトが「あの数字当て簡単だったよなー!」と皆口を揃えて言っている。

 

「?????」

 

僕の頭は再びクエスチョンマークで埋め尽くされた。どういうことなのか?他の生徒にはわかるものを用意して僕だけが不良品が用意されたのか?はたまたこれは学校中を巻き込んだ壮大なドッキリなのか?僕は子供ながらに混乱したことを覚えている。

 

その後、記憶は曖昧であるが眼科へ行き、「色覚異常ですね。色覚異常はなんたらかんたらで~」と色々説明を受けたような気がするが当時の僕にはなんだか色の見え方が異常なのだな、と言う認識であった。その時である。「将来お医者さんとかパイロットとか化学薬品扱ったりする仕事には就けないかもしれない」と言うような言葉に衝撃を受けた。まさか小学校低学年にして将来の職業が制限されてしまうとは。今でこそだいぶ緩和されたが今でも電車の運転士やパイロットは色覚異常は欠格事由とされている。

 

よく誤解を受けるのが「血の色とか緑に見えたりするの?!」などと聞かれるがそんなわけはない。まぁ僕には血の赤が赤として認識しているので他人にどういう赤に見えているのかはどうやっても分からないため同じ色として認識しているかどうかはわからないが。

 

大まかに色の区別はつく。しかし細かい区別がつきづらい。僕は赤系の色がよく判別しづらい。赤、ピンク、オレンジ、茶、この辺りが並ぶと一瞬でどれと言う判断が難しい。焼肉に行ったときに焼けているという状態はわかる。しかしベストな焼き具合と言う状態がわからない。焦がしてしまうのもあれなのでだいたいレアな状態で食べることが多い。

 

一度結構衝撃だったのが昔都内のアパートに住んでいた時のことである。アパートの大家さんはアパートのすぐ隣の家に住んでおり、こう言っては失礼であるが江戸時代のような古民家に住んでいた。しかし僕が住んでいる間に家を新築し白い外壁に覆われた洋風のおしゃれな邸宅へと変貌を遂げた。

 

「おおー、おしゃれになったなぁ」

 

と僕は心からそのセンスに感動していた。しかしである。知人が僕の家に来るなり「隣の家センス悪くない?」という。「そう?俺はおしゃれだと思った」と言うと「え~、外壁ピンクはないでしょ~」との返事。

 

「・・・ピンク???!!」

 

そう。僕が真っ白な外壁だと思っていたものは白ではなくピンクだったのである。言われてからもう一度まじまじと見てみると「確かにこれは真っ白ではない・・・」と認識した。

 

だから僕は金髪クラスにならないと髪を染めてるのかどうかもまじまじと確認しないと正直気づかない。ほのかな茶髪くらいではあまり変化に気づかない。カラーコンタクトも気づかない。言われれば「確かに」という感じなのである。

 

あんまり書くと本当に色の区別がつかないんじゃないかと思われてしまうのでこの辺でやめておく。大まかには色の区別はついている。

 

僕のファッションはよく奇抜だと言われることが多い。ヴィヴィアンウエストウッドやアレキサンダーマックイーンのようなアバンギャルドなものをよく好む。他界したX JAPANのhideや忌野清志郎のようなファッションがカッコいいと心から思っている。ヴィヴィッドカラーが好きなのも色覚異常となんか関係があるのだろうか?

週刊少年ジャンプの功罪

小学生のころは毎週「週刊少年ジャンプ」の発売を楽しみにしていた。ドラゴンボールを筆頭にジョジョの奇妙な冒険、スラムダンク、幽遊白書、ダイの大冒険、魁!男塾、、、まぁ読むものがたくさんあったしどれも子供ながらに面白いなぁと思ってみていた。

しかし中学に入ると僕は漫画を読むことをぴたりとやめた。部活が忙しくて漫画どころではなくなったのである。朝から晩までサッカーに明け暮れ、中学時代の思い出は部活に関することしか記憶にない。春も夏も秋も冬も毎日外でサッカー。雨でも雪でも外。今の自分は完全に色白だが当時は今からは想像できないくらい真っ黒に日焼けした少年であった。(人間変わるもんだ)

 

今年、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」通称「こち亀」が長年の連載を終えた。もともとジャンプに関しては最近読むものがなかったので手にしていなかったがこれで完全にジャンプを手に取ることはなくなるように思う。

 

少年の頃は少年ジャンプに何の疑問を抱かずに熱中していた。毎週が楽しみであったと言っても過言ではない。しかし、今考えてみるとそれが日本人男性のアイデンティティ形成に大きな闇をもたらしているのではないかと僕は思うところがある。

 

少年ジャンプは「友情」「正義」「勝利」をメインとした作品が多いように思え、なおかつファンタジー要素を存分に含んでいる作品がラインナップとして並ぶ。別にそれは出版社の信念や理想でありどんなお題目を掲げようと自由だ。いわゆる「表現の自由」というやつである。

 

しかし、右も左も知らない、純粋無垢な少年がいち出版社の理念を絶対的価値観のように考えてしまうことは非常に危険である。

 

友情無き青春はダメなのか?

正義とは何を基準にしているのか?

勝たなければ人生じゃないのか?

 

少年ジャンプの価値観から外れると大きな疎外感を感じる少年も実は多数いるのではないかと個人的に考えている。闘ったりすることがかっこいいことであるかのようにバトル漫画も多いが勝手な基準で正義と悪を決め、暴力で解決しようなどと言うことはナチズムと大差ないのではないか。だから僕は「ワンピース」に感動している大人には疑問を感じる。個人的にそんなに面白いと思えないというバイアスもあるがいい大人がいつまでも「仲間」「友情」ということを絶対的価値観においているのは完全にジャンプ原理主義に洗脳されたジャンプ教教徒であると言わざるを得ない。裏切りや誤解と言うものは社会に出たらいくらでもありうることであり、純粋無垢が正義と考えることは噴飯ものの科白であり、思考停止状態に陥っていると言える。大人の階段を上るということは少年の心を持ち続けるということではなく、社会に潜む多様性を認め、その中を自分なりにどう生きていくかと言うことではないかと僕は思う。

 

小学校くらいまではいいかもしれないが中学や高校に上がってもジャンプの本質に疑問を抱かない人はある意味純粋とも言え、ある意味では洗脳されやすい脆弱性をはらんでいるともいえる。

 

だからこそその後に哲学書や人生一筋縄ではいかないんだよ、という本や映画、ドラマに触れるということは大事なのだと思う。僕は少年ジャンプの価値観を持ったままでは人生いくら挫折してもしきれず、ちょっとしんどい人生になるんじゃないかと考える。

 

なので僕は「DEATH NOTE」や「るろうに剣心」などの少年ジャンプでは異彩を放った作品は非常に評価している(僕が評価しているからなんだって話だが)。

 

まぁ小学生くらいの頃に社会の闇を詳らかに見せてしまうとトラウマを抱えてしまうことも大いに考えられるので今回の投稿は僕の極論である。

合コンにおける欺瞞

引き続き合コンに対する不満、疑問、異論、反論、objectionを投稿する。

何も僕は合コン(含飲み会、食事会、親睦会)のすべてを否定するわけではない。時として必要な場合も必ずある。ただその会合の「目的」がなんなのかにより僕の嫌悪感は乱高下する。

 

一般的に合コンと言うと「男女の出会い」が目的だ。僕はもうそれが嫌なのである。反吐が出るんである。その場限りの盛りに盛ったメイクとおしゃれをし、普段とかけ離れた自分を演出することでお互いがお互いを品定めする。トイレでは「あの人はあり」だの「あの子がいい」だのしょうもない会話がなされる。

 

だいたいにおいて第一印象が勝負、全てなどとよく言われる話ではあるが、僕はあくまでそれはビジネスでの話であると個人的に思っている。ビジネスでは相手にぼろを出すことは決してない。慣れてきた相手だとしてもビジネスのルールを守った上で接する。だから第一印象からその後のイメージが大きく変化するということは稀なケースであると考えていいと思う。

 

しかしだ。恋愛においても第一印象が全てだろうか?答はNOだ。恋愛の究極的なゴールは現代日本においては「家族になる」ということだ。自分の親兄弟に会うのに必死でメイクをするやつがいるのか?頑張って一流ブランドの服装で会いに行くのか?いつでもどこでもニコニコ笑顔で接するのか?そんなわけがないだろう。親兄弟は一番楽であるがそれゆえ扱いもおざなりになる、しかしそれは愛情や信頼がないという意味合いではない。逆に一番信頼しているからこそ気を使わないのだ。

 

合コンでよくある女子の「料理のとりわけ」僕はあれが大嫌いである。どう考えてもあれはポイント稼ぎであり、「こんなに女子力高い私を見て!」というアピールにしか見えないのである。その子が家族と食事に行った時にも率先して親や兄弟姉妹にとりわけをしているというなら素晴らしい。だがそんなわけないだろう。肝っ玉母ちゃんが子どもに料理のとりわけをするケースはあるかもしれないが、家族で女の子がいる人は考えてほしい、自分の姉妹が外食でとりわけなんかしているか?だいたい子供じゃないんだから自分の食べる分くらい自分で取るわい。サラダにドレッシングもから揚げにレモンも聞かずにかけるな!何「気が利く私☆」みたいなドヤ顔でそんなことしとるんだ!ふざけるな、である。

 

ここまで書いていて自分がかなり嫌な人間に主観的にも客観的にも見えてきた。

 

だが僕は合コンでは常にそんなことを考えているのだからしょうがない。こんなブログで見栄を張っても無駄であり、そんなかっこつけは現実世界でやってればいい話なのである。

 

僕が思うに、合コンの第一印象ですべてが決まると思っている人たちはその後の展開をどう考えているのだろうか?合コンをピークに持って行ってしまったらあとは減点方式でひたすらマイナスされていくだけである。やたら見た目に気を使い、プロフィールをアピールし、どいつもこいつもさわやかで明るく笑顔が絶えない面白いやつばかりであり、相手に気が利き、男らしさ、女らしさをこんな時に存分に発揮し、自分らしさと言うものには完全に蓋をし、「世間的にどう受けるか」だけを追求し、個性を失った合コンロボットとなった者がまるで勝者であり、正義であるかのような錯覚を起こしている。普段は男らしさ、女らしさはジェンダー差別だとのたまって「自分らしさが大事!」といっている輩はこういう出会いの場で自ら行っている行為に疑問を持たないのだろうか?ナンバーワンよりオンリーワンじゃなかったのか?おい。

 

合コンとはいわば悪徳商法、悪徳宗教みたいなもんである。アルコールに煽られ皆脳内で間違った判断、誤った思考をしている。王様ゲームが楽しいとか正気の沙汰とは思えない。冷静に考えてみろ、たかだか3対3の合コンでちょっといい相手がいたからと言っても世界には何十億と知り合ってない相手がいる。そんな相手がイケメンだとか美女だとかは視野狭窄でしかない。しかもほとんどの人間は合コンにピークを持ってきている。次に会うときにはどうやっても合コン時よりグレードが下がっているケースがほとんどだ。そのピークを維持し続けることもまぁ無理だろう。なぜなら恋愛の究極系は何度も言うが「家族になる」ことだからだ。どんなにおざなりな態度にお互いがなったとしても信頼しあえる関係になるということだ。ピークしか愛せないようであれば遅かれ早かれそんな出会いは破綻する。

まぁそれも経験の一つというのならばそれは個人の勝手だからとめはしない。好きにやればいい。だけど僕にもそういうイデオロギーがあるから僕のことを否定するのもまた筋違いだということも理解してほしいんだなぁ。

アンチ青春考

前回のエントリーでも書いたが、僕は合コンが大嫌いだ。前回は勢いに任せて書いたがなぜこのような結論に行きついたか冷静に分析してみる。

 

僕はそもそも小学校では活発で学級委員とかいうものにも積極的に手を挙げるようなタイプであった。その時は男女のことも将来のことも何も考えずに毎日夕暮れまで団地の公園で遊んだりファミコンやミニ四駆、昆虫採集にひたすら精を出す日々の繰り返しだった。それに何の疑問も持たずそれなりに楽しかったような記憶がある。

 

状況が変わったのが中学に上がってからだ。小学校の時までバカな遊びをしていた周囲が急に色気づきだし始めた。ファッション雑誌を購入したり陽気だった友達がビジュアル系バンドのようにクールを気取り始めた。そして「誰それが誰それと付き合ってる」「誰々ちゃんが誰々君のこと好きらしいよ」という話でもちきりになる。僕はそんな周囲の変化に適応できずにdepressionしていった。中学3年になるころには小学生の時と性格がほとんど変わっていたように思う。小学生までは皆ワイワイやっていたのにいつの間にやら

・王道リア充グループ

・勉強できる頭いいグループ

・運動できるさわやかグループ

・ヤンキーグループ

・ネクラヲタクグループ

こんな具合にカテゴライズされていった。(個人的なバイアスと思い出補正が入っている可能性大)僕はそんな空気が嫌で嫌でどこのグループにも属さない「無」となることを決心した。クラスに存在しているかどうかも分からない存在になることにした。愛だの恋だの友情だのお前らは何をそんなに熱くなっているんだ、と。僕には理解がどうしてもできないのである。いや、正確に言うと理解はできてもなぜか体が拒絶する。

 

高校に入ると周囲のその様相は落ち着くどころかますます加速していった。僕は高校に行くのが本当に嫌でしょうがなかった。不登校になろうかと思った。別にいじめや体罰を受けたわけでもないのにおかしな話であるが。高校は本当にクズの吹き溜まりみたいなところで午後になるとクラスの半分がいないなんてことがしょっちゅうあるどうしようもない高校だった。他の学校の生徒が授業中窓から侵入してくるなんてこともあった(今だと完全に事件だろう)

 

そんな日陰生活を続けていたからもちろん大学なんて考えもしなかった。それこそ今以上に阿鼻叫喚の青春地獄が待ち受けているかと思うととても大学に行く気にはなれなかったし、そもそも大学で何を勉強したいかなんてこともなかったので親とはかなり喧嘩し、険悪になった。結局浪人して大学には進学したが基本サークルには入らないことにした。完全に危険回避で今思えば別にそこまで避けることもないだろうに。アルバイトに精を出したがアルバイトでも飲み会なるものはあるのである。

 

そこで事件は起こった。アルバイト先の先輩女性が遅れてくるとのことで先に皆で飲んでいた。僕は今でもお酒は飲めないが、当時は何とか頑張って飲んでいた。その先輩女性が来るまでにビールをジョッキ3杯は飲んでいた。自分としてはもう酒豪の域だ。が、その先輩女性が着た途端「あれ~、憂心君”全っ然”飲んでないじゃん!!w」と言う一言。僕は完全にスーパーサイヤ人へと化した。何かが音を立ててプツりとキレた。

 

「帰りてえ」

 

ずっと思っていたがまだまだお開きには時間がある。酔っぱらいだしてきた他の先輩男性が絡みだしてくる。やれコールだの一気だのを要求してくる。あまりにもそのナメた態度に若かりし僕は完全にキレ、暴挙に出た。何の酒か忘れたが一升瓶を持って一気に飲み「お!いいぞ!!」という周りの声を無視し、あおってきた先輩男性へとその酒を一気にぶっかけグレートムタよろしく毒霧攻撃をかました。お互い取っ組み合いになり差し違えるつもりでいたがそこに大学の少林寺拳法部の学生が2名いて僕とその相手は取り押さえられてそのままそのアルバイトはやめた。

 

僕はそれを機にもう飲まないときは絶対飲まないと決めたのである。「飲めないの?!」「えー、つまんない!!」ふざけるな、である。特に男より女の方がそういうことを言う人が肌感覚として多い。こうやって僕は社交の場からどんどん遠ざかっていく。そもそもの躓きは青春時代の不適合から始まっていたのだ。もう僕が恋愛や結婚ができないのはDNAに仕組まれた運命なのだと言える。

未だに青春と言うものには違和感しか感じない。モノトーンの人生を謳歌していくのもまた一つの人生だ。

街コン死ね!

僕は昔から合コンというものが大嫌いであった。誇張でも何んでもなく心の底からああいった類の集いは下らないと今でも思っている。見知らぬ男女が初めての場でお互いの品定め、言うなれば品評会を行なっている品性下劣極まりない俗事であると本気で思っている。

しかし若者は何故かあの様な場で陽気に振る舞い異性を存分に意識した立ち居振る舞いをし、異性に媚を売り、自分の存在価値を詐欺とも言えるプロパガンダを行う。これは古今東西どこであってもそうだ。男も男だがそんな男に「〇〇君てちょーうけるー!」とか言う女にははっきり言おう、「アホである!」と!

 

しかし、30も過ぎると出会いの場が極端に減る。年齢的にも差し迫ったものが、見えない世間の圧力、生物学的本能か異性への欲求か、はたまた孤独への忌避なのかは分からないが「このまま行くと僕はマズイのではないか?」と言う思いが出てくる。いくら強がってもどこかで出てくる。周りが次々と結婚して子供までいる年齢だから尚更焦りは募る。

 

今まで全くチャンスがなかったわけではない。でも僕は30過ぎてから学校に入り直し一回り年下の女の子たちに囲まれてその間を過ごしたが流石に年齢的に30過ぎと20前後はマズイだろうと自制して過ごした(これが今となっては飛んだ後悔と訳の分からぬ自制心、いわゆるカッコつけ精神でしかないことに気づく)。

 

で、今回タイトルの「街コン」と言うものに参加してみたのである。直前まで迷った。なんせ今日はクリスマスイヴである。街はカップルで溢れ、日本で一番ラブホとコンドームが使われる、あの忌々しい、キリスト教徒を完全に冒涜しているあのクリスマスイヴである。

そんな日にまともな男女が集まるか?いや、集まるわけがない。が!可能性はゼロではない。これが僕の長所である。可能性がゼロでない限り、やれるチャンスがあるならやってみるところ、これが僕の最大の武器。街コンサイトをクリック!支払った金額6,500円!今の僕にはとんでもない金額だ。これを選んだのは訳がある。街コン、どのイベントを見ても「学生不可」「アルバイト不可」「身長172㎝以上限定」「年収700万円以上のエリート限定」(本当にエリートと銘打っていた)「医者、弁護士、公務員限定」等々まるで僕の存在がクソ以下であることを再認識させられる条件ばかりが並び、これしかなかったのである。

 

特定されないように伏せるが都内某所にて開催された。おしゃれな街だ。少し仕事で遅れ急ぎ足で会場に向かう。

会場に着くと男が異様に多い。

「ん?ここは男性の集合場所なのかな?」と思い受付を探す。受付をすませるとプロフィールカードなるものを手渡され部屋へ通され、6人ほどのテーブルに座らされる。やはり男が圧倒的に多い。30人くらいいる中で20人くらいが男。そして女はどこだ、いないぞ。ドラクエのモンスターみたいなのは何人かいるが。

そしてプロフィールカードなるものには

・身長

・職業

・趣味

・休みの日は何をしているか

・マイブーム

・好きな異性のタイプ

そんな項目が並ぶ。僕は激しく困惑した。しかも遅れてきたから書く時間がほとんどない。「コンシェルジュが懇切丁寧にお手伝いします!」等と言う謳い文句はどこへやら「それでは時間が過ぎておりますので開始しまーす!」ほぼ名前しか書いていないプロフィールカードをドラクエモンスターに見せる。「えー、ずいぶんシンプルですねー。受ける―」何が受けるんだコノヤロウ。ふざけるな、である。

 

職業欄には「学生」と書いた。「えー、何勉強してるんですか?」と当然聞かれるわけであるが「医療関係の」と言うと「お医者さんですか?!」と言う反応。はい、残念。医療者ではあるが医者ではない。これ医者以外の男の医療職者あるあるであると思う。最初から何の職業か語っておくのがベスト。ベターではなくベスト。大概のおなごは医療関係というと「お医者さんですか?!」と瞳孔径を明確に拡大し交感神経優位の姿勢を取り始める。これがまたうんざりである。そうでないとわかると明らかに縮瞳を起こし、副交感神経を優位にし始める。その縮瞳の勢いたるやオビソート顔負けの効果。ふざけるな、である。

 

周りを見渡すとはじけてる男もいる。僕が大嫌いな合コンのノリというやつだ。男女の関わり合いははしゃいだもん勝ちであるとつくづく思う。頭で理解していても僕は体が拒否をする。楽しくもないのに楽しいふりをするほど苦痛なこともない。

段々と本気で腹が立ってきた。食事の時間が来てバイキング形式の料理をとりに行ったがまぁこれがまたひどい。まずい!少ない!(まずい料理が多くても嫌だが)6,500円払ってこれか!!?ワ○ミや○の蔵なら腹いっぱい美味い物が食えるぞ!怒りがMAXへと近づく。またしてもふざけるな、である。

 

クリスマスイヴに僕は何をしているんだ、、、と悲しみとも怒りともしれぬ得も言われぬ感情がないまぜとなりカップル投票とか言うものの時間が来た。投票用紙には気に入った人の番号を書いてくださいと言われたが主催者に「帰る」とだけ言い残し本当に僕一人会場から立ち去った。投票用紙に「街コン死ね!(比喩)」と書いてやりたい気分だったがそこは大人。やめといた。

ダメだ。僕には街コンとかああいうのほんと無理。思い知った。もともと学生時代からああいうノリがダメだとわかっていたのにまたこの年になって参加するという学習能力のなさにはあきれるばかりである。

 

学んだこと

・僕は面食いである

・自分が興味を示さないといくら相手がどうであっても全く何の感情も持てない

・合コンはやはり無理

・恋愛ましてや結婚など宇宙飛行士になるくらい夢物語になってしまっている

 

これからもくだらないイベントにどんどん参加してブログをつづりたいと決心した。

今日は森田童子のぼくたちの失敗を聞いて眠ることにする。

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