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るろうに憂心 浪人譚

世の中を、人生を流浪して思ったこと・考えたことなどの雑記帳。結構本当に流浪人しているどこにも所属していない者です。

週刊少年ジャンプの功罪

小学生のころは毎週「週刊少年ジャンプ」の発売を楽しみにしていた。ドラゴンボールを筆頭にジョジョの奇妙な冒険、スラムダンク、幽遊白書、ダイの大冒険、魁!男塾、、、まぁ読むものがたくさんあったしどれも子供ながらに面白いなぁと思ってみていた。

しかし中学に入ると僕は漫画を読むことをぴたりとやめた。部活が忙しくて漫画どころではなくなったのである。朝から晩までサッカーに明け暮れ、中学時代の思い出は部活に関することしか記憶にない。春も夏も秋も冬も毎日外でサッカー。雨でも雪でも外。今の自分は完全に色白だが当時は今からは想像できないくらい真っ黒に日焼けした少年であった。(人間変わるもんだ)

 

今年、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」通称「こち亀」が長年の連載を終えた。もともとジャンプに関しては最近読むものがなかったので手にしていなかったがこれで完全にジャンプを手に取ることはなくなるように思う。

 

少年の頃は少年ジャンプに何の疑問を抱かずに熱中していた。毎週が楽しみであったと言っても過言ではない。しかし、今考えてみるとそれが日本人男性のアイデンティティ形成に大きな闇をもたらしているのではないかと僕は思うところがある。

 

少年ジャンプは「友情」「正義」「勝利」をメインとした作品が多いように思え、なおかつファンタジー要素を存分に含んでいる作品がラインナップとして並ぶ。別にそれは出版社の信念や理想でありどんなお題目を掲げようと自由だ。いわゆる「表現の自由」というやつである。

 

しかし、右も左も知らない、純粋無垢な少年がいち出版社の理念を絶対的価値観のように考えてしまうことは非常に危険である。

 

友情無き青春はダメなのか?

正義とは何を基準にしているのか?

勝たなければ人生じゃないのか?

 

少年ジャンプの価値観から外れると大きな疎外感を感じる少年も実は多数いるのではないかと個人的に考えている。闘ったりすることがかっこいいことであるかのようにバトル漫画も多いが勝手な基準で正義と悪を決め、暴力で解決しようなどと言うことはナチズムと大差ないのではないか。だから僕は「ワンピース」に感動している大人には疑問を感じる。個人的にそんなに面白いと思えないというバイアスもあるがいい大人がいつまでも「仲間」「友情」ということを絶対的価値観においているのは完全にジャンプ原理主義に洗脳されたジャンプ教教徒であると言わざるを得ない。裏切りや誤解と言うものは社会に出たらいくらでもありうることであり、純粋無垢が正義と考えることは噴飯ものの科白であり、思考停止状態に陥っていると言える。大人の階段を上るということは少年の心を持ち続けるということではなく、社会に潜む多様性を認め、その中を自分なりにどう生きていくかと言うことではないかと僕は思う。

 

小学校くらいまではいいかもしれないが中学や高校に上がってもジャンプの本質に疑問を抱かない人はある意味純粋とも言え、ある意味では洗脳されやすい脆弱性をはらんでいるともいえる。

 

だからこそその後に哲学書や人生一筋縄ではいかないんだよ、という本や映画、ドラマに触れるということは大事なのだと思う。僕は少年ジャンプの価値観を持ったままでは人生いくら挫折してもしきれず、ちょっとしんどい人生になるんじゃないかと考える。

 

なので僕は「DEATH NOTE」や「るろうに剣心」などの少年ジャンプでは異彩を放った作品は非常に評価している(僕が評価しているからなんだって話だが)。

 

まぁ小学生くらいの頃に社会の闇を詳らかに見せてしまうとトラウマを抱えてしまうことも大いに考えられるので今回の投稿は僕の極論である。