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るろうに憂心 浪人譚

世の中を、人生を流浪して思ったこと・考えたことなどの雑記帳。結構本当に流浪人しているどこにも所属していない者です。

「Back to the Future」、「君の名は。」から考えること  ※映画のネタバレ有要注意

「Back to the Future」という映画をご存知だろうか?知らない人の方が少数派だと思うが。ロバートゼメキス監督、マイケルJフォックス主演の大ヒットSF作品である。この作品は僕が人生で初めて見た洋画であると記憶している。Back to the Futureのテーマ曲は今聞いても当時の高揚感を彷彿とさせ、Back to the Futureの未来である2016年になった今見ても色あせない作品であると思う。

 

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そして今年公開された「君の名は。」を見たという人は多いだろう。

僕も見た。新海誠監督作品でとても良く練られたストーリーであり、200億円にまで興行収入が到達したのもうなずける内容であった。

 

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この両作品には共通点がある。未来から過去を変えるという点である。

 

大ヒットした作品、小説でもドラマでも映画でも構わないがそれをエンターテインメントとして「面白い」の一言で片づけてしまうことはそれは個人の自由なので構わない。しかし、そこから受け取るもの、感じ取るものがあってこそ僕らの人生は豊かになるのだと思う。ただただ感動するだけでは進歩、成長がないのである。

 

過去に戻れたらああしたい、こうしたい。過去の自分にこう言ってやりたい、ああ言ってやりたい、と思うことは誰しもがあるだろう。「Back to the Future」と「君の名は。」はそんな人々が持っている思いを見事に表現した作品であり、我々にカタルシスをもたらした。だからこそ人々に響くものがあり、大ヒット作品となった。

 

誰もが分かっていることであるが映画の世界は現実ではない。ファンタジーである。我々は映画のように過去に戻ることなど出来ない。もし、我々が時空を自由自在に行き来できるとしたらこのような映画がヒットすることはないのである。

 

ただいつも大ヒットした作品に関して思うのは大衆は「感動した」「面白かったよ」ということにのみ視点が行きがちであるというところである。

 

例えばだ。戦争映画でもヒットしたものはある。しかし、大衆は学ばない。「戦争ってひどい」「かわいそうだった」そんな感想で終わってしまうことは中学生までにしてほしい。学ばなければならない。だからこそ戦争と言うものを起こしてはならないということを。しかし現実はどうであろうか?人類の歴史は戦争の歴史と言っても過言ではなく、未だに世界のいたるところで正義と言う名の下の殺し合いは続いている。

 

「Back to the Future」や「君の名は。」を見ても同様だ。これらの素晴らしい作品をみてただただ「面白かったよ」という感想だけで終わらせてしまうことは人生が豊かになっているとは言い難い。エンターテインメント業界に見事にコントロールされた白痴化した大衆であると言わざるを得ない(まぁエンターテインメントをどう解釈しようとそれは個人の自由なのでこれは僕の押し付け、傲慢であるが)。

未来から過去を変えることができる、ということから何を考えるか。

 

僕らは時間を無駄に使いがちである。人生を未来永劫いつまでも続くネバーエンディングストーリ―であるかのような考えを、特に10代、20代の頃には持ちがちである。人の死が身近にないからである。70,80才なんて遠い未来の話だと思っている。しかし意外とそんなに遠い未来ではないのである。人々は30を過ぎると徐々に実感し始める。

 

「残された時間は少ない」

 

と言うことに。

 

ジャネーの法則をご存じだろうか?

ジャネーの法則 - Wikipedia

時間は老若男女平等であるが、体感する時間は年と共に変わってくる。一日、一年の流れが異なるのである。これは完全に脳に支配された感覚であるため、若い人と高齢者とでは確実に異なる時間の流れがあると言ってしまっていいと僕は考えている。僕がこれから迎える10年と小学生の子どもが迎える10年では絶対的なスパンは同じであっても相対的には小学生の10年が長いのである。時間は主観的に変化する。アインシュタインの相対性理論は簡潔に言うとそういうことを言っている。

参考までにアインシュタインが相対性理論に関して答えた有名な話を引用する。

 

「熱いストーブの上に手を置くと、1分が1時間に感じられる。でも、きれいな女の子と座っていると、1時間が1分に感じられる。それが、相対性です!」

 

だから僕がたとえば残り40年生きるとしよう。しかし実質的には40年まるまる残されていると考えるのは短絡的であり、もっと短いのである。(厳密に言えば40年と言う時間自体は事実であるが、体感する時間が40年では無いという意味合いである)織田信長が言ったとされる「人間50年」と言う言葉はその時代の寿命と言う意味ではなく、実は人間の人生の長さの本質を見極めた言葉なのではないかと個人的に思っている。結局のところ人生の長さと言うのは主観的(相対的)時間と客観的(絶対的)時間を総合して考えると50年がいいところであると思う。

 

そこでどう考えるかが分岐点であり、人生の多様性であると思うのだが、「残された時間は少ないからチャレンジをしよう」と思うのか「残された時間は少ないから波風立てずに安定した人生を過ごそう」と思うのか。正解などない。あえて言うならどちらも正解だ。数学や物理のように答えは用意されていない。そして頭で計画していることと実際に起こることには多少なりとも乖離が起こる。それを受け入れたうえで僕らは人生を生きていかなければならない。

 

例えばマーティーや瀧くんのように未来の自分、大切な人が今目の前に現れたとして「お前、こんなことしてる場合じゃない!」と言われるような人生で果たしてあなたはいいのか?ファンタジーの世界では未来の自分が助けに来てくれる。しかし現実世界では自分の未来を切り開くのは自分でしかない。未来の自分は助けに来てくれないのである。

 

常に未来の自分を作り上げ、現在の自分の人生を考えることが必要なのではないかと僕は思う。未来の自分、それがいわゆる僕が考える「神様」の観念である。なんでも願い事をかなえてくれる、困った時に助けてくれるのが神様ではない。未来の自分が今の自分をどう思うのか、未来の自分を幸せにするために現在で動くのである。