読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

るろうに憂心 浪人譚

世の中を、人生を流浪して思ったこと・考えたことなどの雑記帳。結構本当に流浪人しているどこにも所属していない者です。

続・アンチ青春考

恋愛や友情が無ければその人の人生には青春はないということになるのだろうか?

 

結構青春時代、思春期というものはもがき苦しみ、人を傷つけ傷つけられるようなことが多く、その度に自己嫌悪に陥るような、実は暗い時代ではないかと思う。

 

未熟ゆえに思い上がり、挫折し、周囲にも迷惑をかける。そしてそこから成長する。失敗の連続が毎日のように続くのが思春期の本質ではないか?

 

だいたい勉強やスポーツに関しても全く挫折することなく頂点へ上り詰める人などgiftedと呼ばれる一部の天才のみであり(その人たちでもある程度の挫折は経験するだろう)、皆失敗を繰り返して一定のレベルへと到達するのである。

 

であるのならば人間関係においてもそうである。「人に迷惑をかけるな」とはよく言われる言葉だと思うがそんなのは土台無理な話なのである。迷惑=失敗と定義してみるが思春期に迷惑をかけずに育ち果たしてその子は大人になった時に良好な人間関係を築けるのだろうか?思うに、迷惑をかけないということを真に受けて育ってきてしまった人は自己を確立しきれていないと僕は思う。

言わずと知れたスタジオジブリの巨匠宮崎駿はこう言っている。

 

「他人に迷惑をかけないなんてくだらないことを誰がいったのか知らないんですけれども、 人間はいるだけでお互いに迷惑なんです。 お互いに迷惑をかけあって生きているんだというふうに認識すべきだってぼくは思う」

 

まさにその通りであると僕は思う。

迷惑をかけないということは極論を言ってしまえばお互いが無関心である世界であるということになるのではないか?それって人間の世界って言えるのか?

 

逆説的な話に聞こえるかもしれないが他人をある程度傷つけたり、迷惑をかけるという経験なしに他人に優しくすることは本当の意味ではできないと僕は考える。他人に迷惑をかけないということはある意味で無関心であり、真摯的にその人と向き合っているとは言えない。傷つけられること、傷つけることを知らずに大人になるということなどユートピアの世界であり、成長過程でそこを避けてきた、経験してこなかった人間がいたとしたら僕はその人間に人間らしさを見出すことはできないだろう。

 

迷惑をかけないということはつまり空気を読むことに長けているともいえるだろう。しかし、その空気を読むということが最優先事項になってしまうと人は己の自己実現からどんどん遠ざかり、詰まるところ自分の人生を欺いていると言える。

これは僕の傲慢的な考えではない。「マズローの欲求階層説(欲求5段階説)」という理論がある。人間の欲求のヒエラルキーの頂点は自己実現欲求だといわれている。空気を読むことばかりがうまくなったとしてもその人の人生は何も満たされることはない。(空気を読む自分が好きというならそれはもうお任せする)

 

これらのことから考えると迷惑は前提の上で人とはかかわりを持つことが人生をより豊かにするのではないかと僕は思う。

 

もちろん、最初から悪意を持って人に迷惑をかける輩など論外である。しかし、大方の人は「迷惑をかけてやれ」などと言う心根で人と接するような考えなどないはずだろう。良かれと思ったこと、考えもしなかったことが人に結果として迷惑をかけてしまった、と言うだけの話だ。しかし、それを迷惑=失敗としてしまったらもはや人とは関わらないことが最善策となってしまう。人生において人と関わらないなどそれこそ生まれてきた意味、生きている意味自体の意義を失うことになる。

 

思うに大人になって振り返った時に思い出が綺麗に見せているという補正と甘酸っぱい青春ドラマなどが「青春とはかくあるべき」という誤認を生んでいると思う。

しかし、ドラマや漫画はフィクションだ。「こうであったらいい」「こうであったら楽しい」という虚構を描き、大衆はそこに自己投影し、憧憬の念を抱いてるに過ぎないと思うのである。自分たちが過ごした青春とはかけ離れているからこそ青春ストーリーの作品に埋没してときめきを覚えるのではないかと考えている。

世間で溢れている青春ラブストーリーが誰しもが経験している内容であればそれは単なる日常であり、大衆は日常に溢れていることをわざわざ時間と金を払ってまで見ようとは思わないだろう。サラリーマンや主婦の赤裸々な毎日を描いた作品を誰が見るという?中には物好きもいるから見る人はいても大ヒットなど見込めないだろう。デフォルメされている、非日常を僕らは見たいと思うのである。

 

だからいじめられたり、恥をかいたり、愚かなことをしてしまったということで自分の青春時代はみじめであったなどと思い煩う必要性は全くないのである。青春など虚構だ。失敗を繰り返すいわば実験期間であり、実験を避けて通ってきた人間に魅力があるとは僕は思えない。