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るろうに憂心 浪人譚

世の中を、人生を流浪して思ったこと・考えたことなどの雑記帳。結構本当に流浪人しているどこにも所属していない者です。

病的ナルシシズム

どいつもこいつも結婚していく。まあそちらの方が人間として正しいのだろうと言う感覚は僕の中にもある。

結婚自体は別にいいんである。人と人が惹かれあい、現行の日本の制度では結婚に行き着くことは至極自然な流れだ。そこをああだこうだ言う僕がおかしいという自覚は十分にある。僕が今回猛烈に言いたいことは「式・披露宴」と言うやつに関してである。

 

女性がこのブログを読んでいたとしたら予め言っておこう。今回のエントリーは猛烈にウエディング業界と女性の批判をする個人的偏見にまみれたエントリーである。女性は不快感を覚えること間違いなしであるため、シンデレラ症候群やお姫様願望のある方は読まないことをお勧めする。僕はここから猛毒を撒き散らす。

 

 よく女性は「ナルシストな男って気持ち悪い」と言う言葉を口にする。しかし僕に言わせればどの口がほざいてるんだか、という思いである。僕は男性のナルシシズムなどかわいいものであると思う。ちょっとイケメン気取って髪の毛セットしたりおしゃれをして「俺、決まってる!」などと思う程度である。しかし本当の意味でのナルシストなど本当に少数だ。男女がいるから男性は虚勢を張ってたくましさをアピールして女性を惹こうとする。世に女性がいない男性だけの世界であったら結構男性はなよなよしていると思う。逆に言えば自信がないから過度に男らしさなどといったものをアピールをしないと不安なのだ。自分に心底自信を持っている男性などまぁそんなにいないと肌感覚では思う。(個人的にアイドルやイケメン俳優が「かっこいいですねー!」と言われて「いやいや、もう全然っすよ」なんていうのは反吐が出るが。己はカッコいいという自覚があるからその職業選んだんじゃないのか?ふざけるな、である)

男性の自信はもちろん生まれ持ったルックスや才能もあるかもしれないが詰まる所「積み重ね」で培われたskillとしての自信であると思う。

 

しかし、しかしだ。女性のナルシシズムは男性(僕)視点から見ると病的であり強欲に思えるのである。中高生になるとメイクをやりだす。さらにマツエクだの黒コンだのネイルだの。補正ブラだか豊胸ブラだか知らんが胸も盛りに盛る。SNSなどにあげられている写真にはそれらのばっちりメイクをしてそこからさらにデジタル加工をする。

僕から言わせると武藤敬司がグレートムタに変身する以上の変貌ぶりである。

matome.naver.jp

やっててむなしくならんのだろうか?と常々思う。以前のエントリーでも述べたがときめきのピークを維持し続けることは不可能だ。すっぴんとメイクの違いがばれた時にどれだけマイナスになるかは考えないのか?正直に言って男性は女性の中身ももちろん見るが外見に惹かれる要素が半分以上を占めていると言って間違いはない。女性は男性の顔に加え身長、学歴、体型、年収、職業、社会的地位、そして中身とかなり色々なところで判断しているが、男性は女性のそれらにほぼ関心はない。相手の仕事だの年収だの学歴だのよりも見た目がありかどうかである。そして中身がそんなに問題なければほぼOKだろう。(個人的偏見にまみれているがこれを完全否定できる男性は小学生か結婚詐欺師であると僕は思う)

 

そもそもすっぴんは現代では化粧をしていないという意味で用いられているが本来は化粧をしなくても美人である人を意味している。

 

そしてSNSでは仮面のような鉄壁のメイクを施した自撮りをあげて「ブスすぎて悲しい(;_:)」という最初から期待した返しが決まっている発信をし「そんなことないよぅ。○○ちゃんかわいいよぉ!」というお決まりの返信に対して「え~、そんなことないよぅ!△△ちゃんの方がかわいいよぅ!」というバカみたいなやりとりを世界中に公開している。

清楚だとかしおらしいなんて大和撫子はもはや絶滅危惧種に指定されているのではないかと思う。そしてその最たること、今回最も言いたいことが「結婚式」というものに関してだ。

 

結婚自体は婚姻届を役所に提出すれば成立する。それで夫婦になれる。だが女性はその先に結婚式、結婚披露宴をやたらとやりたがる。何百万と言うお金を一日のために散財してまでも挙げたがる。僕は若い子と接する機会が多い人生であったため、結婚観と言うものを聞いてみるとやはりほとんどが

「盛大に挙げたい!」

「一生に一度なんだからもうこの世が終わってもいいくらいに豪勢にやってほしい!」

「自分が主役になれる人生の最大の機会なんですよ!」

「式挙げたくないという旦那さんとかだったら嫌だ」

こんなセリフだ。女性がこういうセリフを吐くことは理解できるが僕はなぜそんなに主役になりたがるのかは理解できない。一度でいいからウエディングドレスを着てみたい?うん、着たらいい。そして写真を撮ればいい。なぜ皆の前で見せる必要があんの?最低限両親に見せたいというのは理解できる。しかし友達や友達の友達、そんなに親しくもないちょっと関係がある程度の人にまでやれウエディングドレスだ文金高島田だ。目的がなんなのかよく分からない。どう取り繕っても結局自己顕示欲でしかないと思う。(あくまで僕は、の話で男性の総意ではない)そこが僕が女性に思う病的なナルシシズムの正体である。普段は控えめでつつましいと思っていた女性ですら結婚式を盛大にやりたいという言葉を聞くとつくづく女性はナルシスト要素が男性のそれにくらべると病的であると思わざるを得ない。

 

結婚式もピンキリであり、数十万で済む形式から何百万、ブルジョアクラスになると何千万(世に名前が知られてる人は何億と言った式をあげるらしいがそういう人たちは住む世界が違うのでどうぞ豪勢にお金を使って経済を潤してほしいので好きにやってください)と言ったレンジがある。だいたい数百万かける人が多いようだが。

 

だが、冷静に考えてほしい。結婚式や指輪などの金額が愛情の大きさとか言う寝言をほざくのもいいがその何百万と言うお金をその後の結婚生活、たとえば家やマンション、子どもができた時の養育費にあてたほうが良いと言う考えは全く浮かばないのか?無理をして何百万と言うお金をたった一日、己の虚栄心を満足させるためだけに使い結婚後に「ああ、お金がない。結婚生活って大変!子育てにはお金がかかる!」などと言っている豪勢な式を挙げた主婦などを見ていると「頭大丈夫か?」と本気で思う僕がいる。

 

そしてもう一点合点がいかない点がある。それは女性側の「式をあげて”欲しい”」という受け身の姿勢だ。結局ほとんどのケースが男性が全額式の費用を捻出することになる。(女性の家がお金持ちで出してもらったというケースも何人か知っているのであくまで割合の話)己が希望していることなら己で費用を捻出せよ、と僕は思うんである。一昔前のようにお見合い形式や「男は外で働き、女は家を守るべき」という社会であればまぁ納得できないこともないが、これだけ男女平等、女性が輝く社会!などと言われているにも関わらずなぜ「~して”欲しい”」と言えてしまうのか?「そこはやっぱり男の役割じゃないですか~」「え~、そういう甲斐性がない男の人ってやだ~(嫌で大いに結構だが)」都合のいい男女平等を持ち続ける限り女性の社会進出など絵に描いた餅どころか絵にも描かれていない空想の話である。

 

結論:こんなことばかり言っているから僕は結婚できないんである。

 

spotlight-media.jp

こういうのが純愛って言えるんじゃないかなぁ。ウェディング業界に洗脳され幸せの本質がズレるよりは当人同士にとって一番いい形になればいい話である、とリンクを貼り付けて今日は寝る