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るろうに憂心 浪人譚

世の中を、人生を流浪して思ったこと・考えたことなどの雑記帳。結構本当に流浪人しているどこにも所属していない者です。

運命の喉仏を締め上げる

今ある現実が果たして本当の現実であるのか、と言った疑問を誰しも一度は持ったことがあるだろう。何も僕は形而上学的なことをお題目にして御高説を垂れようなどと言うつもりではない。

 

世の中に絶対はないと言うが、生物がこの世に生まれた時点で確実に決められたことがある。死ぬことだ。遅かれ早かれ人は皆死ぬ。これはどうやっても回避できない。iPS細胞などの利用で不老不死も不可能ではないなどとまことしやかに喧伝されてはいるがそれは無理だろう。科学的に可能であることと現実的に可能であることは同義ではない。クローン人間が倫理的に禁忌であると同様で不老不死はあってはならない。ある種の生命体が己の欲望のみのために不老不死をかなえるなどと言うことは生態系をこれまで以上に崩壊させ、ひいては地球のホメオスタシスを破壊し、せっかく手に入れた恒久の命も地球と言う生命体なしには生きられないのである。

 

死ぬからできないことと死ぬからこそできるということもある。必ず死ぬとわかっているのだから人間は人生のどこかで本気になる期間がある。それが若いうちなのか年老いてなのかは個人差であろう。若さは時として人を妄想の世界へ誘い、重大なミステイクに気づくことなく甘い世界に浸らせる。全能感を抱くことは勝手であるが、誰もがジョンフォンノイマンやアインシュタイン、ウサインボルト、マイケルジャクソンのように己の能力をいかんなく発揮できるわけではない。若いからまだ大丈夫だ、若いから何とかなる、こういった妄想が物事を先送りにさせる。若さは最大の武器であると同時に危うい全能感に包まれた自己成長をするうえで人生におけるかなりの律速期間になっていると僕は思う。

 

40,50になって気づいても別にかまわないが、その時人はこう思う「あと十年若かったら・・・」しかし残念ながら時間はどうやっても返ってこない。人は死への道を蛇行することなくただひたすらに邁進する。

 

来世はどうのこうのという人がよくいるが来世はない。霊能者や占い師なる人物がそのような類の話をよくしているが僕はそれは信じることができない。正直なところ詐欺師であるとすら思う。天国や地獄の話をする人間も同様だ。それらは誰も経験していないことだ。つまり想像、空想で語っている。「私には見えるんです!」という人はもう病気としか言えない。よく地震などの大きな震災があるとあとになってから「あの○○地震を予知していた!」などという触れ込みでメディアに露出する自称霊能者や予知能力者の多さをみてもまだ気づかないのだろうか?とすら思う。

 

来世や前世が本当にあったとしよう。その時にあなたは今の記憶、前世の記憶を持っていると言えるのか?前世に武士だか文豪だったかは知らないがそんな記憶はないのだからその人と自分が同一人物であると言うには無理がある。「へー」くらいで済ます話だ。生まれ変わりがあるというのなら今後亡くなった人間のDNAは逐一残しておき、生まれ変わりと言う人物とDNA鑑定をしてもらいたい。

 

だから今やるべきなのだ。

 

「昔はすごかったんだぜ?」

「こんな大学行ってたんだぜ?」

「こんな企業で働いてたんだぜ?」

 

だからなんなのだ。よるべき精神的支柱が過去の遺産、遺物になった時点でジャネーの法則よろしく死への自覚スピードは指数関数的に加速していくだろう。

 

人はかなり盲目的であり、立場が入れ替わっていることにも気づかず、相も変わらず他人の人生を笑いものにしてそれを酒の肴に漫然と暮らしている。芸能人のゴシップネタを必死でネットに貼りついて書き込みをしては溜飲を下げている人間はネット特有のものではなくよく観察すれば結構現実社会にも跋扈している。

 

挑戦者を笑うものは笑っていればいいだろう。しかし挑戦者の人生は笑ったものの人生よりも豊かだ。くだらない飲み会で毎度毎度同じネタで何の変哲もない毎日で視野狭窄するようであれば善きにしろ悪しきにしろ少しでも変化があった方が話のネタは豊富だ。そして広い世界観を持てるのではないかと思う。

 

しかし、こんなことを書いていても自分の言ってることもまた間違っているという可能性も否定できない辺り僕はかなりチキン野郎である。